社会人
忙しいとは心を亡くすと書く。
本当にその通りで、忙しさにかまけて、自分が大事にしていることを見失いそう。
何でもかんでも、「だって忙しいから」と言い訳してたら、人生終わっちゃいそう。
お腹を壊した
身体はとても正直で、僕の場合は他人よりもそれが顕著みたいだ。
体調を崩すってことは、身体の防衛本能のようなもので、基本は良い意味で受け取るようにしている。
熱が出たって、それは闘ってくれてるからで、もし熱が出なかったら僕はもっと大きな病気になっちゃうんだろうって。
この間まで、バリ島でマリンスポーツしたり海水浴したりホテルのプール側でお酒を飲み続けるのと、ポルトガルとスペインで現地料理を食い漁る旅をした。
ポルトガルのリスボンは昔の街並みが残る港町で、路上を走るレトロな電車が有名だ。
カフェ文化が浸透しており、朝ごはんは皆家を飛び出てカフェで珈琲とパンを食べる。
僕らもそれに倣い、1日の始まりをカフェで過ごした。現地のカフェは英語が通じなかったりで、もちろん僕らがポルトガル語を知ってるはずもなく、指差しで注文する。思ってたのと違うのも来る。オレンジジュースとクロワッサンを頼んだら、生搾りのそれと思った3倍は大きいクロワッサンがトレーに載せられた。日本円にしたら300円くらい。
まだオレンジジュースは飲んでいなかったのだけれど、喉元から出た液体は黄色だった。まだあんなに大きいクロワッサンは食べていなかったから、ほとんど胃液だったみたい。吐いた自分が一番驚いた。
その日はポルトガルパビリオンという建築を見にいく予定だった。アルヴァロシザというポルトガルの巨匠建築家が建てたパビリオン。構造的に成り立っているのが不思議なくらい薄いコンクリートの屋根が、間に柱が一本も落ちずにずいぶんなスパンを飛ばしている。
そんな包み込まれるような空間を見ながら、耐えきれなくなった。持参したビニール袋は黄色の液体でいっぱいになった。
ポルトガルで一番楽しみにしていた日が、黄色と甘酸っぱい匂いの記憶で埋め尽くされた。どんだけすごくたって、体調が悪かったらそりゃすごいと思えんわ、と学んだ。
そうえば過去二回ベトナム行った時も、自分だけがお腹を壊した。あらまあ。現場調査で行ったのだけれど、現地の職人さんの仮宿みたいなところのトイレを借りたっけ。
そんな卒業旅行でした。
戌年。2018年。
新年明けましておめでとうございます。
2018年はこれから実家を出て1人暮らしになり、仕事も始まり、環境が大きく変わりますが、あいも変わらずたまには老犬を愛でに帰ってきたいと思います。
デザイン思考=捨てること
年も瀬です。大晦日。6年間建築学科で学んで思ったことでも書こうかなと。
建築でデザインをやれて一番良かったのは、クリエイティブなことって新しいアイデアを「生み出す」ことではなく、既にある色々な情報を見極めて「捨てていく」作業だっていうことに気付けたことです。
アイデアを出すっていうと、付箋を用意してたくさんアイデアを出して~っていうイメージがあると思うんですけど、確かにそれは一つの方法ではあるのですが、既存の情報を整理して分類して行った先に、本質的にクリエイティブなことがあるのではないかって思っています。
佐藤可士和も著書「超整理術」で、整理することが大事だって言ってます。
例えば皆様ご存知スターバックスなんかは、「喫煙が出来ないカフェ」を初めて作ったすごい会社です。
今でこそ分煙は進んで「そんなの当たり前でしょ?」と思うかもしれませんが、当時のカフェの主要客は喫煙者。
カフェでタバコが吸えないなんてありえない、っていう世界でした。
そんな風潮の中で、「喫煙者をターゲットから外す=捨てる」という決断は非常に勇気のあるものでした。
しかしだからこそ、「コーヒーの香りを楽しみたい層」の需要を掴むことができ、スターバックスは爆発的に大企業へと成長していきました。
喫煙者にも来て欲しい、高齢者にも来て欲しい、若者にも来て欲しいというカフェでは、何にも「整理」できていません。なにも「捨てる」ことができていません。
(最近マクドナルドの喫煙室がなくなってきていますが、あれは意味ないなって思います。せっかく喫煙難民者がマクドナルドに集まってきていたのに。)
少し視点がずれるかもしれませんが進撃の巨人のアルミンも、「大切なものを捨てることができる人こそ、大事なものを得ることができる(うる覚え)」と言っています。
でも実践するのって難しい(論文に苦しむ大学院生)。
ブログのデザインの検討
ブログのデザインを考える。
僕が関わる地域の建物を集めて、コラージュしたもの。少しリアルすぎる。
プロフィールアイコンとテイストを合わせた感じのもの。
これだ。この線でいこう。
でもヘッダーの大きさに合わない。くそう。
大きさを調整して、横伸ばしにして。できた。よしよし。
クリスマスと白いセーターの彼女と僕。
クリスマス【Chisistmas/Xmas】
イエス=キリストの誕生を祝う祭り。12月25日に行われる。多くの民族の間にみられた、太陽の再生を祝う冬至の祭りと融合したものといわれる。聖誕祭。降誕祭。《季 冬》「ほんものの樅(もみ)は嵐や-/正雄」
子供たちは、サンタ扮する両親からたくさんの愛情を受ける。大いに喜ぶ。
恋人たちは、色とりどりのイルミネーションと浮き足立った群衆に身を預ける。狭くて暗い場所で互いの愛情を確かめ合う。きっと何度も。
親たちは、プレゼント探しに奮闘する。そういえばこないだ、行きつけの美容師さんが任天堂switchを買うの大変だったと言っていた。美容師さんの子供たちは喜んだのだろうか。
ご多分に漏れず、僕も恋人と時間を共にした。
昼前に集合した。ユニクロで白いセーターを買った。彼女曰く、クリスマスは白いセーターらしい。彼女はもちろん白いセーターを着ていた。僕は言われるがままに白いセーターを着た。僕のお気に入りの水色のシャツはグレゴリーの黒いリュックに仕舞った。
奇しくもお揃いのセーターを着た僕らは、仲睦まじく歩いて駐車場へ向かった。最近買い換えた日産の軽自動車に乗り込み、山梨の温泉地へ向かった。軽自動車といえども、最新モデルのものだ。だから車内は広々だし、乗り心地も最高だ。色もいい。という車自慢を永遠喋りながら運転した。彼女は白いセーターに満足したのか、しっかり相槌を打ち、笑顔で話しを聞いてくれた。高速道路から見える山々は、とても綺麗だった。
高速道路を降り、ほうとうを食べた。山梨県の郷土料理で、南瓜と太い麺のうどんだ。彼女は、ホクホクしながらほうとうを食べた。大満足の様子だ。僕も、大満足だった。
全然関係ないけれど、「君の膵臓を食べたい」の【僕】が初恋の人に恋した理由が何にでも「〜さん」付けするというくだりを最後嘘だったと言うシーンが好きなのだけれど、映画版にはなかったのが悲しかった。美容師さん、と書いてて思い出した。
旅館に着いた。彼女と僕はたくさんの荷物を持ち、受付をする。危うくクリスマスプレゼントを車に忘れそうになる。プレゼント交換などというベタな企画が夕飯後に待ち受けているのだ。すごく楽しみだ。
夕食後は、プレゼント交換をした。途中の勝沼ワイナリーで購入した甲州白ワインと苺のショートケーキを取り出し、Bluetoothスピーカーで音楽を流した。部屋が12月24日の雰囲気に包まれる。もちろんテレビも消した。お互いに唇をほころばせながら、袋を取り出した。僕らはとても楽しい1日を過ごした。
冬の富士山は綺麗だ。朝、旅館の若奥さんが今日の富士山は綺麗だと教えてくれた。昨日の夜から今朝にかけて、雪がたくさん積もったようだ。確かに 、そうだった。
僕らは次の日もほうとうを食べた。あんまりにも美味しかった。僕は白いセーターにBEAMSの黒いスヌードを巻いて、ただいまと言った。彼女は綺麗な硝子のお猪口に日本酒を注ぎ、クリスマスを締めくくった。
僕は、少し自分を嫌いになる
自分のことを嫌いになる時は、だいたい人からの信頼を失ったときだ。帰りの電車は、わりかし悲しい顔をしていたと思う。本を読んでも読んでも、内容が全く頭に入って来ない。満員電車が心地良かったのは久しぶりだ。何も考えなくてもいい、そんな状況を心地良く思えてしまうなんて。
発言がまずかったそういうのではなくて、きっと、その人に対しての態度だったのだと思う。あまりにも仲良くなりすぎて、キョリが近すぎて、「他人」ではない距離まで近づきすぎて、態度が乱暴すぎたんだ。
きっと心ない言葉を発してしまったのだと思う。信頼を取り戻したいけれど、そんなすぐには無理なんだろうなと、感じてしまった。
もちろん相手ももう大人だ。あからさまな態度で示しているわけではない。多分、僕が感情の機微を気にしすぎるから、気付いてしまった。「あ、信頼失った」って思ったのは久しぶりだ。悲しい。
でも少しずつ信頼を取り戻していこう。